年度の変わり目ということもあって、小学校の音楽の先生にお会いしました。昨年初め、学校公開週間に授業見学したり、10月にスクールコンサートを行ったり、その後、授業にお邪魔する、など、たびたび行く機会のあった学校です。
この学校は、非常に地域に開放されている学校で、生徒が地域の商店街で店員の体験をしたり、父兄が、家庭科の時間にミシンの指導を手伝ったり、教員養成系の大学の学生がボランティアとして、たくさん授業のお手伝いに入っている、すばらしい活動を行っています。スクールコンサートのときも、父兄など生徒以外の方が聞きに来ていました。
ただ、この学校でも、多くの学校と同様、学級崩壊がおこってしまったクラスがあって、そういうクラスでは、生徒達が、何に対してもだんだん「無表情」「無感動」になり、何ともいえない雰囲気になるそうです。
でも、今回、実は、そういうクラスの子供たちのスクールコンサートの感想が、「特に」すばしらしかったと聞きました。10月に彼らと共有したあの「1時間」で、生徒一人一人の心の中にどんな変化が起こっていたのか。その場での反応は「特別」ではなかったかもしれないけれど、彼らの心の中に様々な「変化」がおこっていたようです。
学級崩壊が起こるようなクラスの子供たちは、実は、感受性が鋭く、非常に賢い、普段は「無表情」によって、自分達を守っているけれど、常に「救い」を求め続け、子供たちなりに学級崩壊を真剣に考えているのではないかと思いました。その学年のクラスの感想が、上級生の感想より、すばらしかったり、他にも低学年にもかかわらず、3学期の試験のとき、オーケストラ演奏のCDを聞いただけで、メロディーをやっている楽器を聞き分けたり、細かい楽器(金管楽器の中での違いなど)の違いをすべて分かる子がたくさんいたりしたということです。中には、CDのタンバリンのロールの音を聞き分けて、(その技術に)興味を持ち、やってみたいという子も出てきたそうです。音楽の授業という視点から、驚くべき変化がたくさんあったようです。
今、学校における音楽の時間がどんどん減っていますが、実は、思わぬ可能性をもっているのではないかと思います。この学校の「○○通信」3月号には、卒業生のクラス代表の将来の夢があって「東京芸大に入りたい」などというのも発見、ひそかにうれしくなりました。(の)