つい2〜3日前、知り合いのコントラバス奏者のお宅にお邪魔したとき、大倉山(神奈川)にあるそば屋に連れて行っていただいた。
そこのおそば屋さんは手打ちで、その日に打った分を出し、途中でそばがなくなると、よく見かける「売り切れ」ではなく、また打って出してくれるという、きわめて良心的なお店だ。ぼくは、そう聞いただけで、きっと、お客様第一に考えるすばらしいお店に違いないと思った。
店構えはふつうで、「ここがおいしいの?」という感じだったが、別に悪くもない。お店の中は、やはりごくごくふつうの食堂、お客さんは、多くも少なくもなく・・・。早速、注文すると、案外すぐに出てきた。(僕は、ここでたくさん待たせるそば屋は好きでない、大体、そばは食べるのに10分とかからないから、待たされて期待してもあっけなく終わってしまう)麺は、30秒ぐらいでさっとあげてしまうので腰が強く、新そばの香りの漂うすばらしいおそばだった。僕が頼んだのは、鴨のセイロそばで、ちょっとしつこい鴨とさっぱりしたそばのバランスが絶妙。大盛りにしたので、かなり量があったが、おかわりまで注文してしまった。とてもおいしかったのである。
でも、そのお店で一番感心したのは、実はそのお店が「そば屋らしくない」ことだった。もちろんそばがメインのお店だが、となりのテーブルでは、お勤め帰りのサラリーマンらしき3人組が、まるで居酒屋で一杯飲んでいる感じ。斜め向こうは、おそらく独身と思われる男性が、フライの定食を食べている。つまり、とてもアットホームで、くつろぐことができて、しかも、そばがおいしい。値段も手頃である。最近、かしこまっているところ、そばしか食べられなくて、おいしいところは多いけれど、こんなところは初めて。しかも売り切れることがないので、いつでも安心して行くことができる。
そばといえば、先日、演奏会プログラムの私の紹介文で「そばに傾ける情熱…」などと書かれてしまったが、実は、家に小さな製麺機がある。電動式でそば粉に水を含ませてオカラ状にした(この作業が難しい) ものを入れると麺になって出てくる、というすぐれものだ。そば粉十割でも、よくつながる。(ただ十割のときは、うまく水と絡ませないと茹でたときボロボロになってしまう…) そば粉が良ければ、なかなか味も良く、一時期、インターネットでそば粉を取り寄せて、作っては食べていた。最近は忙しくて全然やっていないが、出張要請があったり、年越しのときは、またやるかもしれない。
購入の経緯は、「そぱは、やはり打ちたてが一番」→「もし、打ちたてが食べられないならば、乾麺の方が好き(マシ(?))」→「でも、やっぱり生めんが食べたい」→「それならば、自分で買ってやるしかない」であった。安くておいしいそば屋がそこらじゅうにあれば、(私は面倒くさがりなので)全く必要ないと思っている。(パン屋さんが毎朝、パンを焼いて売ってくれるように、毎朝そばを打って、売ってくれるチェーン店があったら…。でも、僕以外、誰も買わないだろうか?)
今、「古い生めんよりは乾麺」と書いたが、乾麺といえば、いつも、ダンボール単位で注文している決まったそばがある。いわばうちの常備食のようなもので、さっぱりしたものが食べたいときは、このそばを食べることが多い。手軽な割においしい。卵、海苔、ゴマ、天かす、納豆、(野菜)などを入れて「ぶっかけ」にして食べることも多い。人に簡単なお礼をしたいときや(軽くてスーツケースの空間を埋めるのに便利なこともあって)海外在住の日本人へのお土産としても活躍する。当然、非常に喜ばれる。(…お世辞かもしれないけれど)(の)