昨日は、高校時代の音楽の先生のお通夜でした。1週間ぐらい前に危篤との連絡があり、先週土曜日、東京に向かう途中、高速道路で訃報の知らせを受けました。
正直なところ、高校時代、何をしてくれたわけでもない・・・そんな印象の方です。週一回2時間の音楽の授業は、前半が歌で、後半は1年目が鑑賞、2年目は創作。歌の時間は「発声→皆で曲を歌う」の繰り返しで、学期に一度、歌の試験を一人ずつ受けるだけ。鑑賞の時間は、曲の名前と簡単な解説の書かれた紙が配られ、(おそらく高級な)ステレオセットから流れる音楽を、毎時間聞いて、学期に1度、感想のレポートを出すだけ(先生は、いつのまにか別室に行ってしまいます)。創作は、授業時間内に、数人でグループを組んで、楽器から曲まで、何から何まで自由に話し合って、練習して終わり。後期に順番に発表していくだけ…先生のかかわる部分は、ほとんどありませんでした。こちらから聞きに行かない限り、「勝手にやってください」といった感じ。また、吹奏楽部の顧問としての先生も、これまた何もしてくださらなかったという印象…お願いして、やっと年1回の定期演奏会で1曲を振ってくださっただけ。
でも、存在が僕達を安心させた? とでもいうのでしょうか。宗教における神の存在が、人々の心の支えであるならば、当時、自主性を重んじるがゆえに、自由と自分勝手の中間のようだった、あるイミ無法地帯の高校で、私達を遠く、高いところから見守ってくれていたように感じます。
僕は、卒業後、音楽に進んだので、地元オケやハイドンの演奏会のとき、楽屋でお話しを聞く機会に恵まれましたが、大半の高校の仲間は、疎遠だったとのこと、にもかかわらず、先輩、後輩問わず、本当に多くの当時の仲間が参列していました。もう10年以上昔のことなのに・・・先生の不思議な力を感じます。
先生の棺の中には、4Bの鉛筆が2本と大きな消しゴムが入っていました。先生は、ずっと作曲なさっていたのです。そういえば、高2の創作の時間に、自分のグループで、曲のある部分とある部分がうまくつなげられなかったとき、和声をつけてもらったことがありました。一瞬にして…ほんの数秒の間に、美しい、すばらしい「つなぎ」を作っていただいた、あの感動は今でも忘れられません。
先生が、最近、どんな曲を作られているのか知りませんが、きっと残っていることでしょう。実際に聞いていただけないのは残念ですが、いつかどこかで演奏できたらなぁ、と思います。(の)