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ベートーヴェンの第九    - 2003.10.29

 自宅に放置してあった、数年前のクラシック音楽誌の12月号をみていたら、その年の12月、1ヶ月間に129回、ベートーヴェンの「第9」が演奏されるとあった(国内)。今年は、何回か知らないが、「年末」は「第9」、これが習慣となっていることは疑いない。しかし、ご存知の通り、この習慣、日本独特のもので、本場ヨーロッパにはない。

 かなり昔の話になるが、バイロイト音楽祭が再開されたとき最初に演奏されたのは「第9」だったという。ドイツ統一のときも「第9」が演奏された。ウィーン・フィルも創立***年記念などというときに「第9」を演奏している。日本でも、サントリーホールがオープンするとき「第9」が取り上げられた。
 では、これらに共通するのは? そう、つまり何かの記念に、すなわち祭典的、特別な意味を持って演奏されている。「季節」ではなく、大切な「記念日」に取り上げられる曲だということ。

 この大曲、実は技術的にも難しい。話によると、プロ・オーケストラの方も、ベテランは毎年弾いているからすぐに弾くことが出来るが、新人はとても苦労するらしい。譜面が難しいのに、みんな慣れているから、練習回数が極端に少ないこともしばしば。一方、聴く方だって、演奏時間が1時間以上なので、それなりの覚悟が必要。こう考えていくと日本では、少し軽々しく取り上げられているような気もしなくはない。

 この習慣は、果たしてよいのか悪いのか。
 クラシック音楽というと、何も知らない人が少しばかり興味を持っても、たくさん曲があり、しかも、それぞれ、タイプの違う曲なので自分は何を聴きたいのか、悩んでしまう(まあ、過去、200〜300年間に、ヨーロッパを中心とするいろいろな国、地域で作曲した曲の総称なのだから、当たり前なのですが)。誰かと演奏会に行きたいと思っても、どんな演奏会に行こうか迷ってしまう。(→そこで、知っている演奏者、有名な曲に偏ってしまう?)

 「第9」ならば、みんな知っているから行きやすい。クラシックになじみのなかった人も、「第9」をきっかけに興味を持つことが出来るかもしれない。合唱付なので、合唱団のメンバーとして、多くのアマチュア音楽家が、演奏に加わることができる。実際、市民合唱団との共演も多い。
 オーケストラの側にしても、「第9」の演奏会が1年間のたった1ヶ月で100回以上というのは、非常に魅力的。この曲は、客の入りが比較的良いほうとされているから、1回1000人で、ざっと10万人に聴くことになる。野球やサッカーだったら、たった数回でこの人数を動員してしまうけれど、クラシック音楽の世界で10万人というのは、とてつもない数字。クラシック・ファン獲得の面でも、財政面でも、今やなくてはならない存在だ。

 しかし、一方にこんな批評もある。
 「第9交響曲について論議することは、もっとも偉大であり、また、もっとも難しい管弦楽作品に近づくことを意味している。この作品の明快で正確な、そして精神的に充実し、しかも力強い演奏は、演奏解釈学のもっとも大きな課題に属するのである。…第9交響曲を毎年たびたびよくない演奏で聞くよりは、10年に1度よい演奏を聞いた方がはるかに有意義なのである」 マーラーやR.シュトラウスと同時代に生きた有名な指揮者ワインガルトナーは、100年近く前(1906年)にこう書いた。まるで、今日の日本を予測していたかのようなこの言葉、ズシリと響く。

 慣れてしまった「第9」。されど「第9」である。弾く方も、聴く方もこころして取り組まなければならない。(の)



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